塩づくりの里山田

塩づくりの里 山田歴史年表+松寿院野﨑翁遺訓

玉野市史、山田村誌、東児町史より
区分 西暦 和暦 事項
古墳時代 400   山田の原・出崎などで師楽式土器による製塩が行われる。
555 (欽明)17 児島に屯倉を置く。
奈良時代 745 天平17 三宅郷(和名抄によると郡の東部、山田・八浜以東)、加茂郷から塩やクラゲを平城京におくる。(平城宮跡から出土の木簡)
平安時代 799 延暦18 児島の百姓が塩をやいて調庸(税)とする。(日本後紀)
1100   出崎灰出(先端高台)の経塚から和鏡が出土。(市重文)
鎌倉時代 1264 文永1 備前地方で麦・稲の二毛作が行われるようになる。
1332 元弘2 後醍醐天皇が隠岐遷幸の途中、院庄において備前の武士児島高徳が桜樹を削って密かに忠心を奏上。
1385 至徳2 沙弥高心幽霊之位の墓(県重文)が後閑西湖寺の跡に建つ。
室町時代 1394~ 応永 この頃、増吽増正がこの地方の寺院を復興。
1449 宝徳1 5月5日、増吽僧正が無動院山で入定。
1570~ 元亀 三宅城(三宅源左衛門行俊の築城)が山田字山崎に建つ。
安土桃山時代 1573~ 天正 井上城(井上彦六左衛門の居城)上山田字殿前に建つ。
江戸時代 1604 慶長9 備前領内村々の検地が行われる。
1654 承応3 備前一帯に旱魃と大洪水、大飢饉が発生。
石川善右衛門が児島の郡奉行となり、池の開墾など農業水利の土木事業を行う。
1659 万治2 山田の牛石池築造。
1662 寛文2 山田の二子池築造。
1664 寛文4 大池の拡張工事が行われる。(1反7畝を費やす。)
1671 寛文11 育麦倉(社倉米)の制度できる。創設年代不明だが、白石旧山田保育園の東方に藩制改革に至るまで存在。
1688 貞享5 水守神社が白石古宮の地から品ノ作の現在地へ奉遷される。
1692 元禄5 上山田稲荷神社創祀。(後、伏見稲荷宮から勧請される。)
1717 享保2 山田の岡浜・合田浜・中浜・六蔵浜が築造される。
1750 寛延3 山田の大蔵新開4町歩できる。
1775 安永4 八浜で綿作りが盛んに行われる。(後、山田でも綿作りが行われる。)
1789~ 寛政 この頃山田の名品に於期(オゴノリ)がある。(吉備温故秘録)
1821 文政4 無動院経蔵ができる。
1829 文政12 野﨑武左衛門、倉敷市児島に入浜式塩田築造。
1830 天保1 後閑の近藤靱負(神官)が寺子屋を始める。(至文久1)
1832 天保3 沼塩田(宝永前開発)、後閑古浜(宝永前開発)、福浦沖浜(寛政の頃?開発)、福浦中浜(宝永前開発)、福浦岡浜(宝永前開発)、大薮浜(宝永前開発)が造られる。
1836 天保7 このころ旱魃・飢饉が続発。
1838 天保9 東野﨑塩竃神社創建。(陸前塩竃神社から勧請される。)
1839 天保10 吉塔寺の僧、円明によって児島88ヶ所の霊場が開かれる。
1841 天保12 野﨑武左衛門が東野﨑浜塩田を築造。(73.3ha、文久3年東野﨑北浜19.7ha完成)
1852 嘉永5 8月、三五の灯台が山田港に設置される。(初めは石造常夜灯、明治初年の頃木造に改築、大正14年以降は別に電灯台を堤防上に設置。)
1854 安政1 地震・大旱魃おきる。
1856 安政3 白石金刀比羅宮創建。(讃岐金刀比羅宮から勧請される。)
明治時代 1868 明治1 白石の伊藤立斎(医師)が寺子屋を始める。(至明治5)
1869 明治2 白石秋葉神社創建。(遠江秋葉宮から勧請される。)
1873 明治6 9月、山田小学校、第3大学区第3中学区49番小学として開校。
1875 明治8 12月、東野﨑が独立して東野崎村となる。
1882 明治15 台風による高潮により田園・家屋の被害が甚大にして、塩田はことごとく荒廃。
後閑新浜開発
1886 明治19 11月、巡査駐在所が初めて東野﨑(塩竃神社前)に設置される。
1887 明治20 5村の土地調査完了、地番を一様に定め改める。
1889 明治22 4月、市町村制が施行され、山田・東野﨑・後閑・大薮・沼の5村を合併して山田村とする。
1894 明治27 5月、東野﨑気象観測所を東野﨑支店敷地内に設置。
1898 明治31 上山田~八浜町波知に至る道路が新設される。
1903 明治36 10月、沼の熊野神社が火災により消失。(明治37年再建)
1904 明治37 3月、白石岩倉下に伝染病患者を収容する隔離病舎できる。
1905 明治38 塩専売法施行。(平成9年専売制度廃止)
味野塩務局の出張所が日比と山田(白石)に設けられる。
明治41年、原に本建築庁舎が落成、仮事務所から移転。(現しおさい)
12月、山田郵便局が開局する。(現在地の南旧道沿い)
1910 明治43 6月、宇野線開通、宇高連絡船が就航。
山田郵便局で電話の業務が開始される。
大正時代 1913 大正2 山田に蛭子座できる。(現玉野で初めての劇場、建坪170坪)
沼部落に火災があり、家屋6戸が焼失。
1917 大正6 原に第一合同銀行山田出張所(元東児銀行支店)ができる。
1920 大正9 西田井地~田井へ至る道路が郡道となる。(大正12年県道に編入)
定期船『三力丸』が岡山へ就航。(昭和33年4月まで)
1922 大正11 5月、山田に初めて電灯が点く。
1926 大正15 各部落に警鐘台を新設。
1月、定期乗合自動車が開通。(八浜小串線・宇野山田線、明治44年の調査報告に、自転車山田村3台、同じ頃人力車3台とある。)
昭和時代 1928 昭和3 山田村誌が発行される。(北畠謙三執筆)
山田の史跡地に標石を設置。
1934 昭和9 瀬戸内海が国立公園に指定された。
株式会社野﨑事務所設立。
1940 昭和15 8月3日、玉野市誕生。
1944 昭和19 流下式試験塩田を設置。
1947 昭和22 新しい教育制度により六三制が実施され、山田中学校が山田小学校に併置される。
1948 昭和23 この頃から入浜式塩田は、春藤武平の発明による流下式製塩法に改良され、枝条架の姿に変わる。(昭和44年膜濃縮製塩法に移行)
1953 昭和28 7月、山田村が玉野市に編入合併される。
1954 昭和29 4月、山田保育園が白石に新築開園(大正14年以降農繁託児所あり。)
1966 昭和41 山田地区に上水道の給水が開始される。
1969 昭和44 イオン交換膜法海水濃縮設備稼働。
1970 昭和45 米作の減反政策が始まる。
1972 昭和47 3月、養護老人ホーム「和楽園」が深井から上山田に新築移転。
1979 昭和52 この頃から大河原川の改修工事が始まる。
1978 昭和53 4月、後閑保育園が旧後閑小学校跡地に新築開園。
1987 昭和62 無動院の本堂・経蔵を修復。
平成時代 1994 平成6 後閑ニュータウンの埋立工事が完成。(平成9年造成工事完了)
1999 平成11 4月、東野﨑塩田跡地の新県道が開通。(鳥打峠~西田井地川尻)
2001 平成13 出崎に林原類人猿研究センターできる。
2004 平成16 2月、大池の改修工事が竣工。
3月、白石北区の圃場整備が完了。
4月、サンマリン保育園が原に開園。(山田保・胸上保が統合)
5月、塩田跡地で植樹祭始まる。(塩竃神社周辺に鎮守の森づくり~20年まで5ヵ年計画)
9月、環境ボランティア団体「エコライフ玉野」が手づくりの竹炭窯を築造し、水の浄化と里山の保全等を目的に竹炭づくりを始める。
2005 平成17 2月、「わが町歴史探訪(初版)」を発行。
2006 平成18 6月、旧専売局の保存活動を開始。文庫の雨漏り、扉、窓を地区住民の浄財で補修。
2007 平成19 11月、玉野みなと芸術フェスタ「アートタウン山田~塩・まち・唄~」を開催。以後、平成23年まで毎年開催される。
2009 平成21 地元住民が中心となり創作狂言「野﨑武左衛門」を公演。
東野﨑塩田南浜跡地海岸の護岸工事が完了。
2010 平成22 2月、上山田公会堂前から一本橋までの県道拡幅工事がほぼ終わる。
3月、「わが町歴史探訪(改訂版)」を発行。
2011 平成23 10月、旧専売局味野収納所山田出張所庁舎及び文庫が登録有形文化財に登録される。
12月、登録有形文化財登録銘板を旧専売局庁舎玄関前に設置

松寿院野﨑翁遺訓

申  置

  • 一、身代は一種の産のみたくせおくべからず。吾家の如きは塩田、田地・永納えいのうの三種に分かつべし。かく分ち置くときは天災・凶作・変乱等にあふとも、三種の中れか安穏に保つことを得べき理なり。
    平常の生計は身代の三分の一と心得たらんには危なきことなかるべし
  • 一、新なる事業を企て財利を得んとする計画はなすべからず。ただ固有の身代を減らさじと心懸くれば自然増殖するものぞ
  • 一、無益と思ふわざには、つとめて金銭を費やさざるやう心懸くべし、公共の利益あることにはいささかもおしむべからず
  • 一、家屋を建築せんとする時は、先ず他日に取毀とりこわち易く、売却するにも便利ならんことをかねて考へおくべし。又後々修繕するに費え少なきやうに心を用ふべし
  • 一、身代少しにても不如意とならば、世間に隠しだてをせずして速に仕法を立つべし。その仕法はまづ家屋を縮むべし。縮めかたは、第一に表座敷、次に中座敷といふ如く大にして必用ならざる建 物より漸々ぜんぜんに毀ちて売却すべし。それにても仕法立ち難くば、家業の妨けなき限りの諸道具を売却すべし。人の目にも立ち、己の心も改まらん程にせば、などか身代の立直らぬことのあるべき。
    かくなしてもなほ見込みたたざらんには永納に及ぼし、最後に下田より中田と次第に売却すべし。
    良田は己が身命と思ひて手をつくべからず
  • 一、一家の主人たるものは好き嫌ひのなきやうに慎むべし。好き嫌いひは偏頗へんぱを生する本ぞかし。多くの人を召使ふ身は別けて心得べきことなり
  • 一、新規なる事がらにあひたる時、又はこみ入りしことにて思案にあまれる時は、一家親類をはじめ、召使ひの重立ちたる者にまで能く相談して、広く衆論を聞き、さて之を決断すべし。己の所存を先きにはぶべからず。

右の条々は子々孫々に伝へて常に大切に之を守り、家名をさざるやう心懸くべきもの也。

のこしおく教まもらばうみの子の ちよに八千代に家は栄えん

元治元年甲子八月
野﨑武左衛門源

『備前児島野﨑家の研究』より