天保12年(1841)、山田地区に入浜式塩田「東野﨑浜」が築造され、浜子が過酷な労働を乗り切る為に歌われていた作業歌が「浜子唄」である。昭和26年(1951) 頃から入浜式塩田が流下式製塩法に改良され、浜子が姿を消すとともに、浜子唄も歌い継がれなくなった。
しかし、山田三味線同好会の松下甲木さんが、一度途絶えてしまったこの唄を長い時間をかけて三味線の譜面に起こし、幾度も修正を加え、限りなく原曲に近い形で再現された。その後、地区の語り部としてこの唄を学んでもらいたいという願いから、2007年より松下甲木さんらを講師として山田地区の塩田作業者の唄である「浜子唄」が山田小学校の授業に組み込まれている。
- 浜子唄の歌詞
-
- 一、
浜子浜子とヨーオ
けなしてくれな
浜子大名で
扶持がつく - 二、
浜子さんとはヨーオ
承知で惚れた
夜釜焚きとは
しらなんだ - 三、
十と二銭とヨーオ
寄せ子をしても
主に敷島
吸わせたい - 四、
色は黒うてもよ
浜子は武士じゃ
一日九合の
扶持を取る - 五、
いんで床張よ
野崎の浜子
あすは釜立て
浜起し
- 一、
敷島とは
浜子唄の歌詞に出てくる「敷島」とは、口付タバコの銘柄。明治37年(1904)6月29日から昭和18年(1943)12月下旬まで発売。発売当初は国産の高級タバコ。当時の価格は20本10銭であった。1900年頃は、米一升が16銭であったため現在の貨幣価値に換算すると500~600円ほどであり、非常に高価なものであった事が窺える。右の写真は山田で見つかった「敷島紙箱(100本入)」で、大正15年(1926)11月4日~昭和14年(1939)3月3日に卓上用として発売されていた。